料理する手には幸せがある(3) 聖者たちの食卓2021年08月07日 17:10

 「聖者たちの食卓」は、インドの寺院での炊き出しを取材したドキュメンタリーだ。巡礼の人たちなどを対象に、膨大な数の食事(カレー)が用意される。
 朝、芋を掘ってくるなど食材が用意され、人が入れるくらいの大鍋が火にかけられ、数え切れないほどのチャパティが焼かれる。これが毎日、500年続いているという。
 この映画は、そのある1日を切り取ったものだ。
 数十人のじいさんがビニールシートの周りに座り、ひたすらにんにくの皮をむく。しばらくすると若者がやってきてにんにくのビニールシートを取り上げ、新しいビニールシートを敷く。じいさんたちは、また皮をむき続ける。
 となりの数十人のじいさんは、玉ねぎを薄切りにする。それをひたすら続ける。
 別のところでは、捏ねあがったチャパティの種を処理している。こちらの人たちは大きな塊から、1個分をちぎってあちらの人に投げ渡す。受け取った人は、生地を丸い形に伸ばす。大きなザルに積みあがった生地を若者が運んでいく。
 こうした動きの一つひとつに見とれてしまう。
 シェフの人の手さばきは、訓練されたもの。でも、ここにいる人たちのそれは、髭を剃るといった毎日当たり前に行う動きのようだ。修行とか奉仕とかよりもっと自然な繰り返し。そんな強さをどこかに感じる。

料理する手には幸せがある (2) マーサの幸せレシピ2021年07月31日 18:54

 ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」の冒頭には、レストランの料理人たちが仕込み作業をする手元が次々と映る。こういうシーンに見とれてしまう。
 マーサのアシスタントの女性が、料理の下準備をするシーン・・・ジャガイモやニンジンをゆでる、あみじゃくしですくってザルにとる、鍋に入れてソテーする。この人は恐らく、こうした作業を毎日やっているのだろう。この映画では、レストランの職人たちが黙々と様々な作業に従事し、そして料理が生まれていく。美しいシーンだ。
 「今日の料理」では見せるためのクッキングが行われている。映画の料理のシーンも、大局的にみれば見せるために作ってあるわけだが、ハウツーを見せたいわけではない。料理をつくる人たちの、無駄のない動き、何千、何万回も行っている流れのような手つきがあるのだと思う。ストーリーとは別に、そこに惹かれて見てしまう。

料理する手には幸せがある(1) バベットの晩餐会2021年07月25日 22:46

デンマーク映画「バベットの晩餐会」には、料理しているシーンがたくさん映る。スープをとるためブーケガルニや骨付き肉を鍋に入れる。パイ生地をグラスで型抜きする。焼きあがったブリニーを取り出す。ビネガーの口に指を宛て器にそそぐ。そういうところは何度も見てしまう。
 食べているところには興味はない。作っているところなのだ。
 料理を作っている手には幸せを感じる。
 ただ、料理関係なら何でもいいというわけではない。たとえば、クッキング番組は実用的な便利はあるものの、それは感じない。You Tubeなどで料理を作っている人の手にも、それは感じられない。
 「かもめ食堂」という映画があって、そこでも料理のシーンが何度も出てくる。ストーリー的にも大事な部分だし、好きな映画なのだが、料理のシーンには惹かれない。
 繰り返し何度も見てしまう料理のシーンがあり、同じようなことが映っているのに感じないものもある。これらの間にどんな違いがあるのかな、と自分でもよくわからない。