これが女の生きる道(4) 武田百合子 「富士日記」2021年07月04日

 この日記が書かれたのは、わたしが生まれた頃くらいだ。
 武田泰淳は富士山の辺りに別荘を持っていて、1年を通して行ったり来たりしていたらしい。富士日記は、この別荘に滞在しているときの生活を書いたものだ。
 書かれていることの中心は、毎日の食事や、食材・備品の買い物など生活の細々したこと。余計な説明はなく、かかったお金なども、そのまま金額が書かれている。
 ここから窺えるのは、素顔の生活といったものだ。別荘という高級感やおしゃれ感はない。普通の女が支えている、普通の生活。最近のインスタグラムなどに見られるような、リア充自慢や「映え」はここにはない。
 夫がたまたま小説家だったので、口述筆記や原稿送付などを手伝うのも日常の一部。そうしたことを含めて、淡々と生活を進めていく女のすごさを感じる。

いつもの鳥2021年07月12日

ひたすらバタバタ。
 昼休み、いつもの公園のいつもの池を歩くと、いた。
 今日も首を伸ばして、あおぐように羽を動かしている。
 決して、バタバタ飛んでいくという感じでもないし、まるで運動でもしているようなゆっくりした動き。池を半周歩いても、まだやっている。ちょっとまぬけな感じ。
 こいつに会うようになったのは1,2か月くらい前。寒いときにはいなかった。この公園に棲んでいるのかなとも思うけど、姿の見えない日もある。なんていう種類なのかわからないけど、首を伸ばすと80センチくらいある。
 都会の公園で見る鳥としては大きい方なんじゃないか。存在感ある。

料理する手には幸せがある(1) バベットの晩餐会2021年07月25日

デンマーク映画「バベットの晩餐会」には、料理しているシーンがたくさん映る。スープをとるためブーケガルニや骨付き肉を鍋に入れる。パイ生地をグラスで型抜きする。焼きあがったブリニーを取り出す。ビネガーの口に指を宛て器にそそぐ。そういうところは何度も見てしまう。
 食べているところには興味はない。作っているところなのだ。
 料理を作っている手には幸せを感じる。
 ただ、料理関係なら何でもいいというわけではない。たとえば、クッキング番組は実用的な便利はあるものの、それは感じない。You Tubeなどで料理を作っている人の手にも、それは感じられない。
 「かもめ食堂」という映画があって、そこでも料理のシーンが何度も出てくる。ストーリー的にも大事な部分だし、好きな映画なのだが、料理のシーンには惹かれない。
 繰り返し何度も見てしまう料理のシーンがあり、同じようなことが映っているのに感じないものもある。これらの間にどんな違いがあるのかな、と自分でもよくわからない。

料理する手には幸せがある (2) マーサの幸せレシピ2021年07月31日

 ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」の冒頭には、レストランの料理人たちが仕込み作業をする手元が次々と映る。こういうシーンに見とれてしまう。
 マーサのアシスタントの女性が、料理の下準備をするシーン・・・ジャガイモやニンジンをゆでる、あみじゃくしですくってザルにとる、鍋に入れてソテーする。この人は恐らく、こうした作業を毎日やっているのだろう。この映画では、レストランの職人たちが黙々と様々な作業に従事し、そして料理が生まれていく。美しいシーンだ。
 「今日の料理」では見せるためのクッキングが行われている。映画の料理のシーンも、大局的にみれば見せるために作ってあるわけだが、ハウツーを見せたいわけではない。料理をつくる人たちの、無駄のない動き、何千、何万回も行っている流れのような手つきがあるのだと思う。ストーリーとは別に、そこに惹かれて見てしまう。