料理する手には幸せがある(3) 聖者たちの食卓2021年08月07日 17:10

 「聖者たちの食卓」は、インドの寺院での炊き出しを取材したドキュメンタリーだ。巡礼の人たちなどを対象に、膨大な数の食事(カレー)が用意される。
 朝、芋を掘ってくるなど食材が用意され、人が入れるくらいの大鍋が火にかけられ、数え切れないほどのチャパティが焼かれる。これが毎日、500年続いているという。
 この映画は、そのある1日を切り取ったものだ。
 数十人のじいさんがビニールシートの周りに座り、ひたすらにんにくの皮をむく。しばらくすると若者がやってきてにんにくのビニールシートを取り上げ、新しいビニールシートを敷く。じいさんたちは、また皮をむき続ける。
 となりの数十人のじいさんは、玉ねぎを薄切りにする。それをひたすら続ける。
 別のところでは、捏ねあがったチャパティの種を処理している。こちらの人たちは大きな塊から、1個分をちぎってあちらの人に投げ渡す。受け取った人は、生地を丸い形に伸ばす。大きなザルに積みあがった生地を若者が運んでいく。
 こうした動きの一つひとつに見とれてしまう。
 シェフの人の手さばきは、訓練されたもの。でも、ここにいる人たちのそれは、髭を剃るといった毎日当たり前に行う動きのようだ。修行とか奉仕とかよりもっと自然な繰り返し。そんな強さをどこかに感じる。

埼玉の水辺を歩く(1)埼玉県立川の博物館2021年08月16日 13:52

隣には遊園地もある。
 「なぜか埼玉海がない」という歌があるが、川はある。しかも、河川の面積は全国一だそうだ。近場をいろいろ散歩していると、知らないうちに水辺を歩いていたりする。そんなことから、次第に意識して水辺を歩くようになった。
 こういう地域なので、県立の川の博物館がある(大里郡寄居町)。
 一番の目玉は「荒川大模型173」という巨大ジオラマ。荒川の源流から東京湾までが立体的に一望できる。上の写真で言えば、右上に見える太鼓橋のもっと右側の平地に、わたしは住んでいることになる。全体から見ると、最下流の地域なのだ。
 長い長い上流の「荒川のはじめ」と言われる場所は2か所あって、一つは最初の一滴が出てくるところ。そこを見てみたい気がするが、行くのはかなり大変らしい。山登りの準備をして、途中一泊しないと着かないという記事を見た。
 もう一つは、川を計測する起点となっている場所。ここも結構遠いけれど、日帰りできそうだ。どこかのタイミングで行ってみよう。楽しみ。

埼玉の水辺を歩く(2)芝川第一調節池2021年08月22日 15:25

2回目に行ったとき、まわりを一周した。
 わたしの「埼玉の水辺めぐり」はここから始めたい。
 東浦和駅を降りて、見沼用水に沿って歩いていくと、芝川に突き当たる。芝川は荒川の支流で、結構な川幅もあり、ゆったり流れている。
 今度は芝川に沿った道を上流に向かっていくと、道の先が見えないところに出てしまった。鉄橋の下あたりまで行ってみると、向こうに道が続いているようだ。両側は背の高い草で覆われ、よく見えないが、その間を細い道が続いている。
 歩いていくと水門が見えてきて、さらに進むと、いきなり目の前が開け、巨大な池が出現した。
 こんなところに、こんなものがあるんだ!
 この大きな空間に、ひとっ子一人いない。いや、遥か向こうの池の端で、釣りをしている人が一人いる。それだけ。
 土手の上を、あっちにこっちに移動しながら、水と空を見ていた。
 これが調節池との出会いだった。ここからしばらく、調節池を巡ることとなる。

埼玉の水辺を歩く(3)大相模調節池2021年08月29日 13:35

 越谷レイクタウンの駅を降りると、広場の向こうに大相模調節池が広がっている。
 埼玉の調節池のなかでも、かなり大きい方だろう。池というより湖という大きさだ。元荒川からの水をたたえている。
 この池がいわば表の顔で、駅の反対側にも水路が続いている。
 調節池としてはめずらしく街中にあるので、ベンチ、東屋、芝生なども整備されているし、水辺にはずっーと遊歩道もある。
 近くにイオンモールがあって、この駅に降りる人のほとんどはそっちに行く。
 だから、調節池のまわりはいつもパラパラくらいの人がいるだけで、うるさくもなく、ゆっくりしていられる。
 ベンチに坐って昼食をとっている人もいる。わたしも、コンビニで買ったおにぎりを食べたりする。
 遊歩道を歩くもよし、ベンチに坐るもよし、水辺にいるといつも静かに時間が流れる。